2009/8/16 日曜日

宗教のこと

カテゴリー: お国事情, 宗教, 政治, 海外の事情 — admin @ 9:13:19

世界の主な宗教といえば、人口の多い順に…

キリスト教 イスラム教 ヒンズー教 仏教 シーク教 ユダヤ教

…となっています。

しかしこれは単純なものではありません。例えば第10 位に、私たちの「神道」が入っていますが、「私は神道の信者です。」と常に意識している日本人はほとんどいないようにも思われます。

キリスト教とイスラム教は、それぞれにいろんな宗派があって、特にキリスト教はバラエティーに富んでいます。カトリックとプロテスタントでの対立もありますし、本来カトリックだったイギリスでは、16世紀にローマ教皇から離脱してプロテスタントのようになりました。それは政治的な問題からそうなったもので、信者の信仰心から変わったものではないようです。

政治的に宗教をコントロールすると、一般信者の中には反感を覚える人たちも出てきそうなものですから、そこから争いも起きて、流血の事態ともなります。イスラム教でも深刻な宗派対立がありますし、インドではイスラム教とヒンズー教とに分かれて、今のようにパキスタンとバングラデシュがインドから分離しました。未だに宗教対立は続いていて、テロなども発生しています。

イスラエルは、第二次大戦後にアメリカとイギリスなどの後押しで作られた国ですが、イスラム教徒によって支配的だった土地に、ユダヤ教の人たちが入植してきて、それが今でも続いて殺し合い(戦争)が続いています。

私たち日本人は、その点いたって脳天気といいますか、自分が「なに教徒?」 なのかさえ意識していません。子供が生まれれば神社、結婚式は神社かキリスト教会、毎年お盆には仏教のお寺にあるお墓にお参りして家の中には仏壇と神棚が共存しています。クリスマスや聖バレンタインデー、なんてものを喜んで祝って、死んだら仏教徒として戒名をもらいます。

「こんなわけのわからない宗教生活はいやだ!」と思う日本人もほとんどいませんから、要するに日本人は「何でも教徒」なんです。 「何でも教徒」としては、世界での宗教対立や、それによる殺し合いが続いていて終わらない現状に対しては、大いに理解に苦しむことになります。

そんな日本も、かつての大日本帝国では、「国家神道」というものを立てて、天皇陛下を神と仰ぐことを全国民ばかりでなく、台湾人や韓国人や、その他国々で、政治の力で強制してきました。本当に心から天皇陛下を敬愛する人ならいいでしょうけど、「天皇陛下」といわれてもちっともぴんと来ない人々には、非常につらいものだったはずです。欧米の強国と肩を並べてやっていくためには、それも国家として必要な政策だったと見ることもできるのかもしれませんが、政治による宗教の押しつけというのは、必ず大きな対立を招きます。犯罪者(政治や法律と対立する人々)を増やして流血や殺し合いも増えます。

日本はアメリカに戦争で敗れて、皇室や天皇陛下の地位は残してもらうことができましたが、宗教を強制されることはなくなって、平成の現代では明らかに「何でも教」といえる状態になっています。おかげで宗教に端を発する争いごとはなくなりました。

そうして見ると、宗教なんてない方が良いともいえそうです。ジョン・レノンも「 Imagine 」 の中でそう歌っています。宗教なんてなくしてしまえ! とまでは言わなくても、凶器や劇薬の取り扱いに注意が必要なように、宗教の取扱にも細心の注意が必要だといっていいのではないでしょうか。

とはいえ、現実には宗教に熱心な人々が世界中で暮らしています。そんな人々が日本にもやってきます。

何年か前のことでしたが、伊豆市土肥にある「恋人岬」で写真取材をしていたときに、台湾人の団体さんがいて、中に足腰の非常に強そうなおばあさんがいました。「恋人岬」は、けっこう大変な坂を歩かなければならないところなんですが、おばあさんは若い人たちに遅れるでもなく、すたすたと歩いていたので、思わず声を掛けてしまいました。

「足が丈夫ですね。私より速いですね。」

そういうと、おばあさんは私に説教を始めました。

「あんた、南妙法蓮華経を唱えている?」

「え? 唱えていません。」

「毎日必ず、南妙法蓮華経を唱えなさい。そうすれば病気もしないし、健康でいられるから。」

そのおばあさんは、日蓮宗の信者だったんです。台湾からはるばる静岡県を訪れているのも、富士宮の大石寺が目的だったようです。

とりとめもなく書いてしまいましたが、何かのヒントになれば幸いです。

2009/3/15 日曜日

異文化を理解する近道として、価値観をできるだけ中立に。そして寛容。

カテゴリー: おもてなし, お国事情, 文化の違い, 気質・性格 — admin @ 11:40:24

トヨタ2000GTという往年の「名車」があります。WebCGでモータージャーナリストの熊倉重春氏が語るのは、東京オリンピックのわずか3年後、日本がこれから高度経済成長を果たそうという時代に、大卒サラリーマンの初任給がせいぜい2万円だったのに238万円(今の価値で言えば2000万円以上)もしたこの超高級車=スーパーカーが、いかにすごい車であったかという話です。

いや本当に、すごい車でした。なにしろ、ほとんどの人が買えなかったんですから。買えないのが当たり前で、買えたのは、ごくごく一部の大金持ちのうちの、さらにごくごく一部の自動車好きだけだったのです。

トヨタは今ではレクサスという高級車ブランドを育てようとしていますが、私たちが、自分の価値観をできるだけ中立に保つために是非自覚したいのは、それは「メーカーがブランドを育てた」という点です。決して一般大衆主導の話ではなくて、あくまでもメーカー主導の話だということですね。

よく聞かれる悪い表現で言えば、「消費者はメーカーに踊らされるもの」という言い方になります。

現代に至るまでの結果だけを見れば、日本はアメリカに次いで世界第二位の経済大国になりました。世界中に経済援助をしています。さらにアメリカ国債を大量に引き受けてアメリカ経済まで支えています。それには、私たちが「踊らされた消費者」であったからこそ為しえたことだった、とも見ることができるわけです。ですから、「メーカー主導で消費者が踊らされてきた」ことを簡単に批判したり否定したりはできません。

しかしそれと同時に、私たちがメーカー主導で植え付けられてきた「消費文化の価値観」を、他国へ無差別に伝道していいという話でもないでしょう。けれども実際は、日本が作り続けてきた大量の自動車やカメラ、家電製品などは、近隣諸国をはじめとして世界中の発展途上国に、「消費の美徳」として伝道されてきています。お隣の韓国でも、日本のメーカーをしのぐ巨大な自動車メーカーや家電メーカーが世界シェアを広げてきましたし、台湾や中国へも、そうした価値観が広まり、根付いています。こうした傾向は、世界中の当たり前となっているわけです。

もちろん、それに抵抗しようとしている国々もないわけではありません。大量消費を良しとする価値観は、アメリカなどがその根本ですから、反米思想に凝り固まった国々では、アメリカ的な価値観への抵抗が敵愾心となり、自分たち本来の価値観をいっそう強調しようとします。その代表が、イスラム過激派です。

アルカイーダのテロなどは、世界の脅威となっていますが、イスラム過激派が敵と見なしているのは、アメリカそのものだけでなく、アメリカ式の消費文化と、その価値観に浸食されて高級車などをありがたがっているアラブ諸国のあり方でしょう。

言うまでもなく、イスラム教徒全体が過激派ではありませんし、それどころか、インドネシアからアフリカ大陸まで、世界を広く覆うイスラム諸国を見渡せば、穏健派の方が多いのが実情です。しかしながら、イスラム諸国における過激派の扱いという葛藤の一因として、アメリカ式消費文化による浸食が存在するのは間違いなさそうです。

理想的な世界のあり方というのがもしあったとすれば、大量消費を良しとするアメリカ的な価値観は、なるべく世界に広めるべきではなく、できればアメリカと西欧、そして日本程度にとどめておくべきだったということもいえるのかもしれませんね。

それがどうしてこんなに世界中に広まってしまったかといえば、アメリカ人や日本人が、なんの疑いもなく、大量消費は人類全体に良いことだと信じ込んでいたためだったのではないでしょうか。

このような「一方による信じ込み」が、必ずしも世界に幸福をもたらさないというのが事実だろうと思います。「一方による信じ込み」は、むしろ世界に葛藤と摩擦をもたらす危険もあって、それが現実に、イスラム過激派によるテロなどの原因になっているのです。

さらにいえば、そうした葛藤や摩擦は、必ずしもイスラム過激派だけの問題ではありません。穏健派のイスラム教徒にとっても、自分の価値観をどう保つべきかという葛藤によって、心を揺るがされる問題になっているはずですし、今まさに大量消費に突き進んでいる中国の国内でも、日本ではありえないような大きな格差をもたらしています。富めるのは上海などの沿海都市部ばかりで、貧しい人々はまだ十億人以上存在しています。

ではみんなが豊かになれば解決するのかといえば、それも決してそうとは言えないのではないでしょうか。現実として、私たち日本人自身にも葛藤はあるはずですし、アメリカ人自身ですら揺れています。たとえば、超高級車を所有して乗り回すことは、誰もに共有される価値だとは決して言えないからです。

それは別に、時代が環境問題に主導されるようになったからではありません。「環境主義」という新しい価値観が生まれたら生まれたで、そこでもまた、世界に共有されるとは限らない、大国主導の一方的な価値観が振りかざされることに変わりはないのです。

価値観を中立にしたいというのは、世界の人々の価値観がなにを一番としているか、それは国によって、個人によって、一概には判断できないからです。異文化の人々と対話していこうとするなら、まず自分の「信じ込んでいる価値」というものを振りかざさないことが重要になってくるはずです。

筆者はイスラム教徒の人々ともお付き合いをしてきておりますが、彼らから、「あなたはなぜお祈りをしないのですか?」などと質問されたことはありません。「神を信じますか?」と聞かれたこともありません。また、神を信じている様子もなく、お祈りももちろんしない筆者に対して、彼らが軽蔑の目を向けてきたこともありません。それは彼らが筆者を敵と見なしていなかったためでしょう。

同じように、アメリカ的な価値観を信じ込む私たちも、もし相手を敵とは見なさないのであれば、アメリカ的価値観を信じ込んではいない人々に対して、自分が所有している車を自慢したり、カメラやパソコンを自慢したりはできないはずです。ましてや相手の身なりに言いしれぬ違和感をおぼえたときでも、それをそのまま顔の表情に表すなどといったことはできません。

宗教的な価値観や、生活文化に関わる価値観というものは、このように、相手に無自覚でぶつけて良いものでは決してありません。それは、私たちが共有するべき、もっと大事な価値というものがあるからです。それは他でもなく、「共存したい」と願うことです。親が子を育てるという基本的な姿は世界共通のものです。それを核にして、その延長として、隣人愛や、寛容があるはずです。思えばこの「寛容」という価値観こそが、異文化との共存を目指して苦難の道を歩んできた国々がたどり着いた、大いなる智慧なのではないでしょうか。

私たちの日本には、まだそうした経験がほとんどありません。経験がないために、「寛容」という言葉も、普段の生活ではほとんど聞きません。「寛容」は、許し合いの社会を実現しますが、日本社会はどちらかといえば、監視し合う社会です。人と違うことをする人がいればまず警戒するのが日本社会です。そのおかげで、世界一治安が良かったりするわけですから、日本社会のこれまでのあり方を全面的に否定することなどできませんけれども、もし「寛容」ということも、加えることができれば、日本という私たちの国は、海外からのお客様にとって、より良い訪問国となることもできるのではないでしょうか。

2009/1/7 水曜日

イギリスの王室と日本の皇室。そして韓国や中国の正史(=独自の歴史観)。

カテゴリー: お国事情 — admin @ 23:11:30

イギリス(United Kingdom)という国は、早くから成熟社会と自他共に認められる王国です。筆者にもイギリス人の友人知人が少なくありませんが、彼らと接していると、日本も成熟した先進国ということにはなっているけど、イギリスに比べればまだまだだなと思わされることが多々あります。

ひとつひとつについて詳しく話し出すときりがありませんので、ほんの少しだけ、例を挙げてみたいと思います。

例えば「出生地主義」という国籍に関わる法律の取り決めです。

日本では、外国人が日本で出産しても、その赤ちゃんに日本国籍が与えられる条件とはなりません。つまり、日本で産声を上げたからといって、日本人になれるとは限らないわけです。

それがイギリスやアメリカでは、国内で生まれた子供には国籍が与えられます。

もちろん、親の国籍を選択することもできますから、その子がイギリス人やアメリカ人になるとは限りませんが、イギリスやアメリカでは、国内で生まれた子供に自国の国籍を与えますよという法律になっているわけです。

日本では、皆さんもご存じの通り、そのような「出生地主義」の法律はありません。日本人の父親の子にもなかなか与えられなかったわけですが、最近やっと、(これもまだいろいろ問題はありそうですが)父親が認知すれば日本国籍が与えられるようになりました。

出生地主義のすごいところは、親が子供の国籍を選べるところです。例えば、フランス人やポルトガル人が、自分の子供をイギリス人にしたいと考えたら、とりあえずイギリスに住んで、そこで出産すればよいわけです。

実は、イギリスも含めたヨーロッパの王室というのは、あちこちの国の王室が、他国の王室と親戚だったりもします。

そんなイギリスの王室、エリザベス女王ですが、イギリスの王室のすごいところは、歴史学に照らしてまったく作り話や歴史のねじ曲げがないところだと思います。

まず、イギリス国歌は、「女王陛下に神のご加護を」というやつですが、イギリス国教のトップにある女王が、ちっとも神聖な存在とは思われていないんですね。

まずそこが、日本の皇室とは大きく異なります。

日本で皇室を神聖なものとして祭り上げたのは明治維新なんですが、皇室の「歴史」とされているものには、神話が含まれています。

ヨーロッパで「神話」といえば、ギリシャ神話、ローマ神話など、これは明らかにお伽噺か何かだろうというような内容です。というと言葉は悪いかもしれませんが、要するに科学的でないということです。歴史学、社会学、人類学・・・その他に照らして、ちっとも普通ではないとういうことですね。

同じように、日本の神話も不思議なお話ですね。なにしろ生物学的にあり得ないような生き物だって登場するんですから。

「8つの頭と8本の尾を持ち、目はホオズキのように真っ赤で、背中には苔や木が生え、腹は血でただれ、8つの谷、8つの峰にまたがるほど巨大」(タマタノオロチ)

中国や韓国の歴史観が、歴史学の立場からは正確ではないということを以前にも書かせていただきました。現政権に都合の良い事実を採用し、また誇張して、都合の悪い事実については削除するという歴史観は、しばしば「捏造」という言葉をもって非難の対象ともなっています。

しかしそれは「捏造」という悪い概念で考えるのではなく、「正史」という、中国の歴代王朝がずっとやってきた、政権独自の歴史観というものであるということを書かせていただいたわけです。

一方で日本という国家は、明治政府以降の、天皇陛下をトップとする体制で成り立っています。

対米戦争で降伏して以来は、「大日本帝国」から「日本国」となり、天皇陛下の位置づけも「国民統合の象徴」ということになり、絶対君主ではなくなりましたから、戦前と戦後とでは政治体制が変わったことにはなりますが、国家体制自体はほとんど変わっていないんですね。

そしてこの国家体制を支えているのが、皇室の伝統です。その伝統は「神話」をもとにするものですから、決して歴史学的に正しい史実に基づいたものでなないのです。

このように、歴史学では説明できない、あるいは否定せざるを得ない「正史」というものが、私たちの日本にもあるわけです。

そのようなわけで、日本の「正史」が中国や韓国の「正史」と違うのは、ただ単に、国家体制が古いか新しいかの違いにすぎないとも見ることができます。

日本の国家は明治以降で100と数十年。さらに皇室そのものは2600年を優に超えているという「神話」によります。

中国や韓国は、それが戦後から始まっていますから、まだほんの数十年です。中国の毛沢東も、北朝鮮の金日成も、神格化されることがあるとはいっても、日本の皇室ほど現実離れした「神話」はありませんから、あくまでも人間であり、人類の歴史上、数ある偉人のひとりにすぎないわけです。

一方で、日本の天皇陛下というのは、偉人ではありません。もっと神聖視されることが多いというのが事実です。

というように見てきますと、日本も、中国も、北朝鮮も韓国も、どこも等しく、歴史学に照らして正常なる歴史観をもっていないことになるんですね。

以上の事実を踏まえて、イギリスという国を見てみますと、イギリスの王室には、歴史学者が否定するような「神話」はありません。

むしろもっと人間臭い歴史があるばかりです。

そもそもカトリックを抜けて英国国教になったのは、王様が離婚したからです。離婚を禁じているローマ法王庁との対立があったために、カトリックを脱退するに至ったんですね。ウィキペディアの記述を引用してみましょうか。

–引用開始–

ヘンリー8世はルターの宗教改革を批判する「七秘蹟の擁護」を著した功で、教皇レオ10世から「信仰の擁護者」(Defender of the Faith)の称号を授かるほどの熱心なカトリック信者であったが、後にキャサリン王妃との離婚およびアン・ブーリンとの再婚を巡る問題から教皇クレメンス7世と対立。側近であるトマス・クロムウェルの補佐を受け、1533年には上告禁止法を発布し、イングランドは帝国であると宣言し、教皇クレメンス7世に破門された。1534年には国王至上法(首長令)を発布し、自らをイギリス国教会の長とするとともに、ローマ・カトリック教会から離脱した。

Wikipedia日本語版より)

–引用おわり–

イギリスの王室の歴史というのは全体にこの調子で、なにもかもあからさま、あけすけになっています。つまり、歴史学者が首をかしげるような「神話」もなければ、日本や韓国にあるような「正史」もないのです。

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(最新ニュース1:漢字を撤廃してきた韓国で、また漢字が見直されているそうです。漢字の読める韓国の子供たちも少しずつ増えているようです。)

(最新ニュース2:チタン製のゴルフクラブは聴覚障害の原因になるそうです。お心当たりのゴルファーの皆さん、耳栓を。)

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