2008/9/23 火曜日

親日と反日

カテゴリー: 台湾の近代史, 海外の事情, 韓国の近代史 — admin @ 20:42:52

日本統治の長い時代を経験した韓国と台湾ですが、よく言われることに、台湾は親日的だが韓国は反日感情が強いということがあります。それはどうしてだろうということで、現代の日本でもいろいろと議論があります。

日本の終戦直後には、日本に支配されていただけで日本と戦ってはいない国ということで、いわゆる「第三国」というのが、韓国と台湾だったわけです が、日本が敗戦したと決まってから、日本国内には朝鮮半島からの人々と、台湾から来ていた人々が、急に日本人に対して横暴な態度をとったということがあり ました。

中でも密かに語り継がれているのが、主に朝鮮半島からの人々による日本人や日本の警察官までをも対象としたリンチ事件など、多くの暴動です。違法な 行動であれば正しかったはずはありませんが、それをひとつの重大な現象と見た場合、どうしてそんなことが起きたかと考えれば、そこにはやはり、それ以前か らの日本人に対する不満や憤りが強くあったと見るべきでしょう。

さらに遡って、関東大震災のころからすでに、いわゆる朝鮮人差別という問題がありました。そもそもそのような差別感情がなぜ発生したかという問題を 考えなければならないのですが、それは、韓国を併合して韓国人にも日本人になってもらおうという日本の政策がまずありました。そこには韓国人と日本人との 民族性がとても近かったということがあって、それによって一層際だった異質さというものを日本人は感じてきたはずです。

一方の台湾人は、韓国人に比べたら、民族的にはより遠い感じを受けます。また台湾は併合というよりも植民地でしたから、台湾人は「二等国民」とされて、日本人一般とは身分的にも一定の距離がありました。

それに対して韓国人とはそれほど距離を保たなかったわけです。距離を保たないということが、日本人との平等につながっていれば良かったのでしょうけ れども、実際には違いがかえって際だってしまいます。その結果が、強調されて見える異質感となり、それが差別感情につながった。どうやらそう見てさほど間 違いではないのではないかと思います。

「お前は異質だ」「あなたは異質だ」と常に思われて一緒に暮らせば、誰でも精神的に居場所を失います。家庭に居場所を失えば子供は非行に走ります が、日本支配の国土と、海を渡ってきた日本の地にあって、どちらでも「異質だ」と思われたら、民族全体として、その支配者である日本を恨み、追い出したく なるのは当然です。

私たち日本人というのは、島国のせいもあってか、異文化の異質さを、違って当たり前とは考えられないところがあります。それははっきりと日本人の国民性として、欠点だと見なければなりません。

例えば筆者の周囲でも、近隣の国から日本に移り住んできて、一般の日本人から、「あなたは日本人のようだ。」と言われていやな思いをしたという人がいます。

日本人が外国人に向かって「あなたは日本人のようだ。」とか「あなたは他の日本人よりもよっぽど日本人らしい。」という時、それは日本人の側からす れば明らかに褒め言葉なのですが、そう言われた外国人にしてみれば褒め言葉でも何でもありません。外国の人が日本人から、「日本人らしいということこそ が、人間にとって最も素晴らしいことなのだ。」などと言われたら、自分の国の文化や国民性を否定されたことになるからです。

ところが私たち日本人はそんなことには気づかず、どこまでも善意に満ちて、「あなたは日本人らしい。」と言って、韓国人や台湾人を「褒める」わけです。韓国人や台湾人の側からしたら、時にはそれが侮辱となり、差別となってしまいます。

日本的なヒューマニズム(人道主義)をもって、そのような善意を大いに発揮してきたのが私たち日本人だとすれば、私たちは善意によって、重い罪を犯してきたことにもなります。

韓国人が反日的であるということは、以上に見たような原因が昔からあったということと、さらに戦後の国策として日本を敵と見なして一致団結してきた面もあるということ。その両方の原因によって、韓国はなかなか親日的にはなってくれないということではないでしょうか。

台湾は、先に述べましたように、もとから日本人と一定の距離を保ってきたことが大きいと思います。距離を保っていれば、互いに違って当たり前ともな りますから異質さがさほど際だって感じられません。親しい友人関係でも、同居していたりすると互いにいやになりやすいものですが、一定の距離があれば互い の違いを違いとして認め合うことも比較的容易になります。

2008/9/9 火曜日

近代史のはなし 日本と台湾(2)

カテゴリー: 台湾の近代史 — admin @ 22:04:29

そんな複雑な住民構成の大きな島を、日本は植民地にしたわけです。もちろん統治は簡単にはいきませんでした。

日本支配に抵抗して、台湾として独立国を建てようという動きもありました。日本(大日本帝国)への抵抗には 、やはり多くの人々が犠牲になりました。戦後の、戦争のない長い時代を生きている私たち現代の日本人には、ちょっと想像のつかない恐ろしいことがたくさん あったわけです。

本当の「台湾人」である、台湾の原住民は、「高砂族」とまとめて呼ばれることもありましたが、日本は植民地時代に彼らを「野蛮人」の「野」をとった 「蛮人」と呼んで、特に蔑んでいました。当時の日本の新聞を読めば、そうしたひどい差別語も、見出し、本文に関わらず、たくさん出てきます。戦前は、差別 語だから使っちゃだめ!という考え方もろくになかったみたいですね。

一方で、日本は台湾に多大な投資をしました。ダムや用水路を作って農業の生産効率を高めたり、衛生管理をおこなったり、南北に長い台湾を縦断する鉄 道を敷設したりもしました。教育も、日本語による教育ではありましたが、台湾人が高等学校や大学に進学するチャンスも開かれました。

しかしそれでも、台湾人は「二等国民」とされて、一般の日本人とまったく同等の権利を与えられるというところまではいきませんでした。

台湾人に対する差別というものは、そのように、確かにあったわけですが、実際に台湾に渡って、台湾の人々のために一生懸命尽くそうという、善意のか たまりみたいな立派な日本人も少なくありませんでした。(もっとも、異文化に対する善意がいつも良い結果をもたらすということは全くないんです が・・・。)

戦後、中華民国になった台湾で、しばしば見かけられた光景があります。それは同窓会です。同窓会なんて、別にめずらしくもないじゃないかと思われるかもしれませんが、ちょっと違うんです。

戦前に学校で勉強を教えてくれた懐かしい恩師を、台湾のクラスメイトの人たちがお金を出し合って、日本から招くんですね。そこには必ず、涙の再会が ありました。台湾の人たちも、日本人の先生も、互いに昔を思い出して、肩を抱き合って涙を流すんです。部外者として遠目に眺めていても、ついもらい泣きを してしまうような、とても感動的な同窓会の光景です。

そこには、一生懸命職務に励み、台湾の子供たちを愛した日本人と、愛情をもって教えてくれた先生に対する台湾の人々の深い感謝の気持ちが溢れていました。

台湾に住んでみますと、ときどき日本語の堪能な台湾人に出会うことがあります。

「ぼくはねぇ、まだ内地(日本のこと)に行ったことはないんだがね、できれば一度、富士山を見てみたいと思うんだよ。」

そう語ってくれた90歳の老人の言葉には、こちらが日本人だからというお世辞などまったく感じませんでした。 もちろん、ご年配の方々みなさんが日本語を流ちょうに話されるわけではありません。家が貧しくて、ろくに学校など行けなかった人もいます。その老人と同世 代なんですが、うちの子供たちの曾祖母は、ほとんど日本語が話せませんでした。

台湾のご年配の方で、日本の教育を受けてこられた方々が、みなさん親日家だとも限りません。また、かつて日本が台湾で「良いこと」をしたのか、あるいは「悪いこと」をしたのかといった、単純な見方もできません。

21世紀の日本人としては、そうした過去の出来事を、現代の基準や、善悪の基準で判断することもできないのです。

歴史というのは、善悪だけでは割り切れない。

私たちはそんな視点に立つことを心がけるべきではないでしょうか。

近代史のはなし 日本と台湾(1)

カテゴリー: 台湾の近代史 — admin @ 21:26:24

日本と韓国、日本と台湾についての近代史を、とてもわかりやすく解説してみようと思います。今までなんとなく知っていたけど、詳しくはわからなかっ たということについて、歴史の教科書には決して書かれていないような面白い書き方で説明できればと考えています。今回からは台湾についてです。

台湾は、日本が戦争に負けるまで、日本の植民地でした。1945年までということですね。

いつからかといえば、日清戦争に日本が勝って、下関条約で清国から台湾をもらった時からですね。日本にとっては初めての植民地です。欧米列強の仲間入りができると思って、さぞかしエキサイティングなことだったでしょう。

台湾には総督府が設けられて、立派な建物も建ちました。今でも「中華民国総統府」として使われている洋式の建築物です。

台湾という島は、蓬莱島、フォルモサとも呼ばれるとても美しい島でしたが、そこに住んでいた人々は、一言で説明できるような簡単な構成ではありませんでした。もちろんそれは、今でも同じことで、台湾とは多民族の島であるわけです。

原住民と呼ばれる人たちは、十族と呼ばれる通り、十の部族があって、それぞれ全然通じない言葉を話していました。

一方、明の時代から中国大陸から「漢人」とされる人たちが移住してきていて、中国文化で暮らしていました。 またそれも単一民族ではなくて、いわゆる閩南語(びんなんご)という、福建省の南の方で話されている中国語の一種を話す人々が「ホーロー」と呼ばれる人た ちで、客家(はっか)語という言葉を話す「客家人(はっかじん)」も住んでいました。

ここまで説明を聞くと、なんだか非常に複雑だなあと思われることでしょう。実際、台湾は今でも複雑な島なのです。

戦後は、中華民国になって、蒋介石率いる国民党が大挙して台湾海峡を渡ってきましたから、日本の植民地時代を経験していない中国人もたくさん住んでいます。

戦前までは、日本の支配のもと、台湾島の住民は大きく二つに分けて考えられていました。ひとつは原住民ですね。そしてもう一方が、漢人です。

最近の日本では、この複雑な台湾を、こんなふうに考える人たちがいます。つまり・・・

「台湾は、もとから清国支配が大して強くなかったし、50年間も日本支配を受けて、皇民化政策(台湾人を普通の日本人と同じ天皇陛下の民にしようとする政策)もおこなわれてきたから、漢人と見るのは間違いだ。台湾人は台湾人なのだ。」

・・・というような見方なんですが、そんなに単純な話ではありません。

台湾のホーローや客家といった漢人の人たちというのは、「自分たちが中国文化を受け継いできていて、むしろ文化大革命などで過去の文化が破壊された 中国大陸の中国人よりもよほど中国人らしい良いところを受け継いでいる」というふうに考えてもいますから、台湾人は漢人ではない。台湾人は華人ではない。 と、単純に否定してしまうのは無理があります。

戦前のホーローや客家の人たちも、「原住民とは違って中国式の文化的な暮らしをしている」とプライドをもっていましたから、 台湾人は台湾人でしかないという論理では、戦前までの彼らのプライドをひっくり返すことにもなってしまいます。

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