2008/10/20 月曜日

近代史のはなし 日本と韓国(2)

カテゴリー: 韓国の近代史 — admin @ 13:59:50

日本には一方的で独善的な「人道主義」があるということを「近代史のはなし 日本と韓国(1)」や、「親日と反日」のところで書かせていただきました。簡単にまとめますと・・・

「日本人になりたい」とは思っていない外国人(韓国人や台湾人)に対して、「日本人になるということは良いことなのだ」と、説得したり、強要したり するということがかつてありました。日本の敗戦によってそうしたことがなくなったというなら良いのですが、現代でも、「あなたは日本人より日本人らしい、 すばらしい人だ。」という褒め言葉が存在します。褒めるための単なる「言葉」ではなくて、本気でそう思っている日本人がいるんです。そんなことを言われた ら、自分の国や文化を否定された気持ちになるのは当然です。これが日本式の、悪しきヒューマニズム=人道主義です。

・・・というような内容でした。

台湾人や韓国人は、このような、悪しきヒューマニズムの犠牲者だったと見ることができると思います。

もちろんそれは、台湾、韓国だけにはとどまりませんでした。日本が進出したアジア諸国で、程度の差こそあれ、様々な形で「善意の押し売り」がおこなわれてきたわけです。

バリ島に観光で行ったとき、現地のご年配の男性が、こちらを日本人と見ると「お猿の駕籠屋」を歌って聞かせてくれたことがあります。それはインドネシアが日本に支配された時代に子供だったその男性が、学校で教えられたものだったのでしょう。

当時のインドネシアを伝える古い映画フィルムには、インドネシア人の車掌が、日本人にだけお辞儀をして、インドネシア人の客にはお辞儀をしていないという場面が出てきました。(NHK「映像の世紀」)

特にお辞儀をする習慣がないというのがインドネシアの当たり前であったのなら、相手が日本人だからといって、わざわざお辞儀をするというのは気が利きすぎているわけですが、そんな光景があったというのは他でもなく、支配した日本人がそれを要求したためでしょう。

日本はアジアを開放するために、インドネシアを支配したオランダを蹴散らして、インドネシア人のためのインドネシア建国に尽力するはずでしたが、実際には、ファシズムのナチスドイツと同盟を結んでしまいました。同じ立場に立ったわけです。

「ソ連も仲間に加わるんだから」と、当時の松岡外相がヒトラーに騙されたため(その後ドイツは日本の期待を裏切ってソ連と開戦)だと見ることもできますが、全部ヒトラーのせいにするわけにもいきません。

相互理解、相互尊重という、互いに対等な外交政策がそう簡単でないのは確かですが、だからといって、こちらの価値観を一方的に押しつける外交が正しいはずはありません。そんなことをして互いに仲良く暮らせるわけがないからです。

日本と韓国との関係も、そうした日本の一方的な押しつけによって始まっています。もちろんそれにも議論はあって、あのまま韓国をほうっておいたら、 ソ連が南下してきて韓国はソ連に支配されていただろう、そうなれば、日本はアメリカとソ連という二大国と戦火を交えることになっただろうといった議論です ね。

だからといって、韓国の主権を尊重せずに「併合」をしてしまったのは無理があります。ナチスドイツの政権下で開催されたベルリンオリンピックでは、 韓国人の選手が活躍してメダルを取りましたが、彼らは日の丸をつけて戦いました。それをもって「日本は強い。」というのはおかしな話です。強かったのは韓 国人なんです。韓国は、日本よりずっと人口も少ないにもかかわらず、現代でもスポーツでの活躍が目立ちます。負けず嫌いの精神が、どうやら日本人よりも優 れているようだと認めないわけにはいきません。

そんな誇り高き韓国人を、全部まとめて日の丸でくるんでしまおうとしたのが、大きな取り返しのつかない過ちだったのだと思います。

禍根ははっきりと残りました。韓国が、歴史学の手法によらず、正史で歴史教育をしていることも、その根本には「禍根」があるわけです。そしてこの対立問題を解決するには、現代を生きる私たちが、新しい時代を作っていくしかないのだと思います。

そのために必要なことは、馬鹿の一つ覚えみたいな「謝罪外交」ではないと思います。必要なのは、議論すべきことと、まだ今はすべきでないこととを しっかりと見極めることでしょう。仮に謝罪するにしても、何がどう間違っていたのかを、はっきりと見極めなければなりません。それは韓国政府の要求通りに なにもかも認めるということでもありません。

韓国の国家体制が、正史をもとにまとまっているのであれば、歴史認識をひとつにするのは極めて困難なことです。韓国のいう通りの歴史認識をすれば、日本の学術研究としての歴史学は崩壊してしまうからですね。

じゃあどうしたらいいのかという話になりますが、日本と韓国、日本人と韓国人は、民間レベルや経済交流の様々な場面で、互いに利害を一致させ、協力 し合って生きています。親友関係を築いている人たちも大勢いますし、婚姻関係も大変な数になります。このような事実があることを前にして、歴史認識が違う のになぜなのだと言ったところで、なんの役にも立たないんですね。

あるのはただ、誰にでも十分可能な友好関係なんですね。

2008/9/23 火曜日

親日と反日

カテゴリー: 台湾の近代史, 海外の事情, 韓国の近代史 — admin @ 20:42:52

日本統治の長い時代を経験した韓国と台湾ですが、よく言われることに、台湾は親日的だが韓国は反日感情が強いということがあります。それはどうしてだろうということで、現代の日本でもいろいろと議論があります。

日本の終戦直後には、日本に支配されていただけで日本と戦ってはいない国ということで、いわゆる「第三国」というのが、韓国と台湾だったわけです が、日本が敗戦したと決まってから、日本国内には朝鮮半島からの人々と、台湾から来ていた人々が、急に日本人に対して横暴な態度をとったということがあり ました。

中でも密かに語り継がれているのが、主に朝鮮半島からの人々による日本人や日本の警察官までをも対象としたリンチ事件など、多くの暴動です。違法な 行動であれば正しかったはずはありませんが、それをひとつの重大な現象と見た場合、どうしてそんなことが起きたかと考えれば、そこにはやはり、それ以前か らの日本人に対する不満や憤りが強くあったと見るべきでしょう。

さらに遡って、関東大震災のころからすでに、いわゆる朝鮮人差別という問題がありました。そもそもそのような差別感情がなぜ発生したかという問題を 考えなければならないのですが、それは、韓国を併合して韓国人にも日本人になってもらおうという日本の政策がまずありました。そこには韓国人と日本人との 民族性がとても近かったということがあって、それによって一層際だった異質さというものを日本人は感じてきたはずです。

一方の台湾人は、韓国人に比べたら、民族的にはより遠い感じを受けます。また台湾は併合というよりも植民地でしたから、台湾人は「二等国民」とされて、日本人一般とは身分的にも一定の距離がありました。

それに対して韓国人とはそれほど距離を保たなかったわけです。距離を保たないということが、日本人との平等につながっていれば良かったのでしょうけ れども、実際には違いがかえって際だってしまいます。その結果が、強調されて見える異質感となり、それが差別感情につながった。どうやらそう見てさほど間 違いではないのではないかと思います。

「お前は異質だ」「あなたは異質だ」と常に思われて一緒に暮らせば、誰でも精神的に居場所を失います。家庭に居場所を失えば子供は非行に走ります が、日本支配の国土と、海を渡ってきた日本の地にあって、どちらでも「異質だ」と思われたら、民族全体として、その支配者である日本を恨み、追い出したく なるのは当然です。

私たち日本人というのは、島国のせいもあってか、異文化の異質さを、違って当たり前とは考えられないところがあります。それははっきりと日本人の国民性として、欠点だと見なければなりません。

例えば筆者の周囲でも、近隣の国から日本に移り住んできて、一般の日本人から、「あなたは日本人のようだ。」と言われていやな思いをしたという人がいます。

日本人が外国人に向かって「あなたは日本人のようだ。」とか「あなたは他の日本人よりもよっぽど日本人らしい。」という時、それは日本人の側からす れば明らかに褒め言葉なのですが、そう言われた外国人にしてみれば褒め言葉でも何でもありません。外国の人が日本人から、「日本人らしいということこそ が、人間にとって最も素晴らしいことなのだ。」などと言われたら、自分の国の文化や国民性を否定されたことになるからです。

ところが私たち日本人はそんなことには気づかず、どこまでも善意に満ちて、「あなたは日本人らしい。」と言って、韓国人や台湾人を「褒める」わけです。韓国人や台湾人の側からしたら、時にはそれが侮辱となり、差別となってしまいます。

日本的なヒューマニズム(人道主義)をもって、そのような善意を大いに発揮してきたのが私たち日本人だとすれば、私たちは善意によって、重い罪を犯してきたことにもなります。

韓国人が反日的であるということは、以上に見たような原因が昔からあったということと、さらに戦後の国策として日本を敵と見なして一致団結してきた面もあるということ。その両方の原因によって、韓国はなかなか親日的にはなってくれないということではないでしょうか。

台湾は、先に述べましたように、もとから日本人と一定の距離を保ってきたことが大きいと思います。距離を保っていれば、互いに違って当たり前ともな りますから異質さがさほど際だって感じられません。親しい友人関係でも、同居していたりすると互いにいやになりやすいものですが、一定の距離があれば互い の違いを違いとして認め合うことも比較的容易になります。

2008/9/11 木曜日

近代史のはなし 日本と韓国(1)

カテゴリー: 韓国の近代史 — admin @ 23:48:34

韓国の近代史について

実はこの、韓国の近代史というものを、正確な文献などによってまとめることは、とても危険なことなんです。

なぜかといえば、現代の韓国では、歴史をいわゆる「正史」(これまでの記録を書き直す)という中国古来のやり方で編纂しているため、一般の韓国人が 受ける教育での韓国近代史というものは、あくまでも現政治体制にとって必要なものとしてまとめられていて、近代的な歴史学の手法によってまとめられた歴史 とは大きく異なるんですね。

「正史」というのはつまり、現在の政権が、過去の政権のおこなったことのうち、評価すべき部分というものを削除して、非難すべき、不幸な部分だけを 誇張して、現政権に都合の良い内容へと作為をもって書き直した歴史です。ですから、正確な歴史を日本人などが提示するということは、韓国の国家体制を脅か すという、危険な行為にもなりかねないわけです。「それは正しくない。捏造だ。」と、正論を述べるのは簡単ですが、韓国には韓国の事情があるわけですね。 もちろんそうした韓国の事情が、あらゆる韓国国民にとって良い面ばかりとは限りません。

例えば、「韓国以外の国に住みたい」と考えている韓国人の割合が、「日本以外の国に住みたい」と考えている日本人の割合よりも、かなり多い(特に高 学歴の人の場合は、半数、あるいは半数以上) という統計があります。それはなぜかといえば、理由はいろいろあるんでしょうけれども、例えばアメリカのような、自由闊達な空気というものが今ひとつ不足 していて、もっと伸び伸びとしたいというような気持ちを持っている人も少なくないのかもしれません。

韓国政府が「正史」によって歴史を記述し、子供たちに教育しているということも、あるいは空気を息苦しくしている一因なのではないかと想像しますが、筆者は韓国には住んだこともないので、いい加減なことは言えません。

いずれにしましても、最も近い隣国であり、文化的にも、話す言葉も、なにもかもが日本と一番近いのが、お隣の韓国です。そんな韓国を理解する上で、 韓国の政治体制が、日本のように簡単に成り立っているわけではないという難しい事情というものを知っておく必要があると思います。

日本が清国から台湾や遼東半島を譲り受けた「下関条約」については、台湾の近代史のところでも書きましたが、この条約の第一条として決められたことというのが、清国による政治的な影響を強く受けていた朝鮮王朝の朝鮮半島について、清国はその独立を認めるということでした。

このあたりのことも、現代の韓国ではほぼ隠蔽されているかもしれませんから、たとえ事実だからといって、日本人がこうした歴史を来日した一般の韓国人の前で口にすることは避けておくべきでしょう。

1910年(明治43年)、日本は朝鮮半島を併合し、朝鮮王朝の時代は終わりました。以来35年間、日本の敗戦までの間、韓国の人々は好むと好まざるとに関わらず、大日本帝国の一員となったというのが、いわゆる「韓国併合」です。

1895年から日本に植民地化された台湾との違いとしましては、台湾人が「二等国民」として扱われたのに対し、韓国人は建前上は日本人と同等の身分 ということになっていたことがひとつ、あげられます。これにはもちろん、日本を追い出そうと考える反対勢力があり、一方で併合に協力する勢力もあったよう です。

いずれにしましても、日韓併合を「植民地」と呼ぶかどうかには議論があって結論が出ていないことや、同じ日本から見た歴史認識でも、政治思想的に右寄りの歴史認識と、左寄りの歴史認識とでは大きな食い違いがあることなど、簡単には説明できない部分が多いようです。

そもそも日本は、自国の戦略として、ソ連の南下を防衛するために朝鮮半島支配を必要としていました。そして日本に併合された韓国で三・一独立運動な ど、独立運動が相次いで起きていたことなどを考えますと、たとえ韓国の近代化に貢献した面もあったとはいっても、大日本帝国による拡張主義でなかったと言 い切ることは難しいでしょうね。

こうした激動の歴史の中、幸福な思いをした人もあったでしょうし、大変に不幸だった人もあったはずです。そして日本と韓国という、同じ東アジアの一番近いはずの両国にとっても、幸福な面と不幸な面とを併せもっていたはずです。

幸か不幸かということは、善か悪かということとは違います。

日本は日本で、ヒューマニズムに満ちていて、是非とも韓国人を良き日本人にしたいと願ったことでしょうが、自分は韓国人であって日本人ではないとい うところにプライドをもっていれば、日本からの一方的な善意は韓国人にとって災難でしかありません。それまでのどんな時代にも、韓国が日本を併合しようと か、日本人を全員韓国人にしようといった支配をおこなったことはないわけです。

日本の側にどんな善意があろうとも、韓国人による韓国人の国を消滅させたり、韓国人をやめなさいというような押しつけがましい政策を持ち込んだりすることで朝鮮半島全体を幸福にできると思うのは無理なことです。

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