近代史のはなし 日本と韓国(2)
日本には一方的で独善的な「人道主義」があるということを「近代史のはなし 日本と韓国(1)」や、「親日と反日」のところで書かせていただきました。簡単にまとめますと・・・
「日本人になりたい」とは思っていない外国人(韓国人や台湾人)に対して、「日本人になるということは良いことなのだ」と、説得したり、強要したり するということがかつてありました。日本の敗戦によってそうしたことがなくなったというなら良いのですが、現代でも、「あなたは日本人より日本人らしい、 すばらしい人だ。」という褒め言葉が存在します。褒めるための単なる「言葉」ではなくて、本気でそう思っている日本人がいるんです。そんなことを言われた ら、自分の国や文化を否定された気持ちになるのは当然です。これが日本式の、悪しきヒューマニズム=人道主義です。
・・・というような内容でした。
台湾人や韓国人は、このような、悪しきヒューマニズムの犠牲者だったと見ることができると思います。
もちろんそれは、台湾、韓国だけにはとどまりませんでした。日本が進出したアジア諸国で、程度の差こそあれ、様々な形で「善意の押し売り」がおこなわれてきたわけです。
バリ島に観光で行ったとき、現地のご年配の男性が、こちらを日本人と見ると「お猿の駕籠屋」を歌って聞かせてくれたことがあります。それはインドネシアが日本に支配された時代に子供だったその男性が、学校で教えられたものだったのでしょう。
当時のインドネシアを伝える古い映画フィルムには、インドネシア人の車掌が、日本人にだけお辞儀をして、インドネシア人の客にはお辞儀をしていないという場面が出てきました。(NHK「映像の世紀」)
特にお辞儀をする習慣がないというのがインドネシアの当たり前であったのなら、相手が日本人だからといって、わざわざお辞儀をするというのは気が利きすぎているわけですが、そんな光景があったというのは他でもなく、支配した日本人がそれを要求したためでしょう。
日本はアジアを開放するために、インドネシアを支配したオランダを蹴散らして、インドネシア人のためのインドネシア建国に尽力するはずでしたが、実際には、ファシズムのナチスドイツと同盟を結んでしまいました。同じ立場に立ったわけです。
「ソ連も仲間に加わるんだから」と、当時の松岡外相がヒトラーに騙されたため(その後ドイツは日本の期待を裏切ってソ連と開戦)だと見ることもできますが、全部ヒトラーのせいにするわけにもいきません。
相互理解、相互尊重という、互いに対等な外交政策がそう簡単でないのは確かですが、だからといって、こちらの価値観を一方的に押しつける外交が正しいはずはありません。そんなことをして互いに仲良く暮らせるわけがないからです。
日本と韓国との関係も、そうした日本の一方的な押しつけによって始まっています。もちろんそれにも議論はあって、あのまま韓国をほうっておいたら、 ソ連が南下してきて韓国はソ連に支配されていただろう、そうなれば、日本はアメリカとソ連という二大国と戦火を交えることになっただろうといった議論です ね。
だからといって、韓国の主権を尊重せずに「併合」をしてしまったのは無理があります。ナチスドイツの政権下で開催されたベルリンオリンピックでは、 韓国人の選手が活躍してメダルを取りましたが、彼らは日の丸をつけて戦いました。それをもって「日本は強い。」というのはおかしな話です。強かったのは韓 国人なんです。韓国は、日本よりずっと人口も少ないにもかかわらず、現代でもスポーツでの活躍が目立ちます。負けず嫌いの精神が、どうやら日本人よりも優 れているようだと認めないわけにはいきません。
そんな誇り高き韓国人を、全部まとめて日の丸でくるんでしまおうとしたのが、大きな取り返しのつかない過ちだったのだと思います。
禍根ははっきりと残りました。韓国が、歴史学の手法によらず、正史で歴史教育をしていることも、その根本には「禍根」があるわけです。そしてこの対立問題を解決するには、現代を生きる私たちが、新しい時代を作っていくしかないのだと思います。
そのために必要なことは、馬鹿の一つ覚えみたいな「謝罪外交」ではないと思います。必要なのは、議論すべきことと、まだ今はすべきでないこととを しっかりと見極めることでしょう。仮に謝罪するにしても、何がどう間違っていたのかを、はっきりと見極めなければなりません。それは韓国政府の要求通りに なにもかも認めるということでもありません。
韓国の国家体制が、正史をもとにまとまっているのであれば、歴史認識をひとつにするのは極めて困難なことです。韓国のいう通りの歴史認識をすれば、日本の学術研究としての歴史学は崩壊してしまうからですね。
じゃあどうしたらいいのかという話になりますが、日本と韓国、日本人と韓国人は、民間レベルや経済交流の様々な場面で、互いに利害を一致させ、協力 し合って生きています。親友関係を築いている人たちも大勢いますし、婚姻関係も大変な数になります。このような事実があることを前にして、歴史認識が違う のになぜなのだと言ったところで、なんの役にも立たないんですね。
あるのはただ、誰にでも十分可能な友好関係なんですね。
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