2008/9/23 火曜日

親日と反日

カテゴリー: 台湾の近代史, 海外の事情, 韓国の近代史 — admin @ 20:42:52

日本統治の長い時代を経験した韓国と台湾ですが、よく言われることに、台湾は親日的だが韓国は反日感情が強いということがあります。それはどうしてだろうということで、現代の日本でもいろいろと議論があります。

日本の終戦直後には、日本に支配されていただけで日本と戦ってはいない国ということで、いわゆる「第三国」というのが、韓国と台湾だったわけです が、日本が敗戦したと決まってから、日本国内には朝鮮半島からの人々と、台湾から来ていた人々が、急に日本人に対して横暴な態度をとったということがあり ました。

中でも密かに語り継がれているのが、主に朝鮮半島からの人々による日本人や日本の警察官までをも対象としたリンチ事件など、多くの暴動です。違法な 行動であれば正しかったはずはありませんが、それをひとつの重大な現象と見た場合、どうしてそんなことが起きたかと考えれば、そこにはやはり、それ以前か らの日本人に対する不満や憤りが強くあったと見るべきでしょう。

さらに遡って、関東大震災のころからすでに、いわゆる朝鮮人差別という問題がありました。そもそもそのような差別感情がなぜ発生したかという問題を 考えなければならないのですが、それは、韓国を併合して韓国人にも日本人になってもらおうという日本の政策がまずありました。そこには韓国人と日本人との 民族性がとても近かったということがあって、それによって一層際だった異質さというものを日本人は感じてきたはずです。

一方の台湾人は、韓国人に比べたら、民族的にはより遠い感じを受けます。また台湾は併合というよりも植民地でしたから、台湾人は「二等国民」とされて、日本人一般とは身分的にも一定の距離がありました。

それに対して韓国人とはそれほど距離を保たなかったわけです。距離を保たないということが、日本人との平等につながっていれば良かったのでしょうけ れども、実際には違いがかえって際だってしまいます。その結果が、強調されて見える異質感となり、それが差別感情につながった。どうやらそう見てさほど間 違いではないのではないかと思います。

「お前は異質だ」「あなたは異質だ」と常に思われて一緒に暮らせば、誰でも精神的に居場所を失います。家庭に居場所を失えば子供は非行に走ります が、日本支配の国土と、海を渡ってきた日本の地にあって、どちらでも「異質だ」と思われたら、民族全体として、その支配者である日本を恨み、追い出したく なるのは当然です。

私たち日本人というのは、島国のせいもあってか、異文化の異質さを、違って当たり前とは考えられないところがあります。それははっきりと日本人の国民性として、欠点だと見なければなりません。

例えば筆者の周囲でも、近隣の国から日本に移り住んできて、一般の日本人から、「あなたは日本人のようだ。」と言われていやな思いをしたという人がいます。

日本人が外国人に向かって「あなたは日本人のようだ。」とか「あなたは他の日本人よりもよっぽど日本人らしい。」という時、それは日本人の側からす れば明らかに褒め言葉なのですが、そう言われた外国人にしてみれば褒め言葉でも何でもありません。外国の人が日本人から、「日本人らしいということこそ が、人間にとって最も素晴らしいことなのだ。」などと言われたら、自分の国の文化や国民性を否定されたことになるからです。

ところが私たち日本人はそんなことには気づかず、どこまでも善意に満ちて、「あなたは日本人らしい。」と言って、韓国人や台湾人を「褒める」わけです。韓国人や台湾人の側からしたら、時にはそれが侮辱となり、差別となってしまいます。

日本的なヒューマニズム(人道主義)をもって、そのような善意を大いに発揮してきたのが私たち日本人だとすれば、私たちは善意によって、重い罪を犯してきたことにもなります。

韓国人が反日的であるということは、以上に見たような原因が昔からあったということと、さらに戦後の国策として日本を敵と見なして一致団結してきた面もあるということ。その両方の原因によって、韓国はなかなか親日的にはなってくれないということではないでしょうか。

台湾は、先に述べましたように、もとから日本人と一定の距離を保ってきたことが大きいと思います。距離を保っていれば、互いに違って当たり前ともな りますから異質さがさほど際だって感じられません。親しい友人関係でも、同居していたりすると互いにいやになりやすいものですが、一定の距離があれば互い の違いを違いとして認め合うことも比較的容易になります。

2008/9/19 金曜日

食の安全と中国の経済発展

カテゴリー: 海外の事情 — admin @ 23:12:47

有害物質メラミンが混入した粉ミルクで乳幼児が腎臓結石などにかかっているという中国の事件。乳幼児が四人死亡、患者は数千人という被害の拡大を受けて、関係者から多くの逮捕者も出ています。

メタミドホスの混入で日中の外交問題にもなった毒餃子事件が記憶に新しいところ、日本でも、また中国かという反応が見られます。中国には、まだ消費者の権利というものが曖昧で、食品メーカーばかりか、農産物などでも、強すぎる拝金主義による犠牲者が後を絶たないわけです。

とはいえ、また中国かと、中国の現状をただ嫌悪してしまうのも考えものかもしれません。

安価な工業用ヒ素を触媒として作った化合物を乳児用粉ミルクに添加していたところ、それを飲んだ13,000人もの乳児がヒ素中毒になり、死者130人という大惨事が起きた事件もありました。

死にはしなくても、一生を重い障害を負って生きている被害者も多いこの事件は、海を渡った中国の話ではなく、私たちの暮らしているこの日本で起きた事件です。

事件の原因となったのは、森永乳業の「森永ドライミルク」という製品で、ヒ素が使われたのは昭和30年前後のことでした。

森永乳業は当初、まったくの責任逃れに終始していましたから、これが金儲け主義による人命軽視でなくて何なのでしょう。また当時の日本人にも、消費者の権利などといった意識はほとんどありませんでした。

日本人が長い年月をかけてそうした意識を持ち、世界最高レベルの安全を手に入れるまでには、多くの人命による犠牲もあったわけです。中国は後発の工 業国として、目を見張る経済成長を続けていますが、それが現代、21世紀だからといって、工業技術と同じように、日本が経験し蓄積してきた安全への知恵を 学び採り入れるというのも簡単ではないのだろうと思います。

コンピューターだって作れるのだから、安全な食品だって作れて当然であると、これだけ中国産の食品に囲まれて暮らすようになりますと、そう思いたくもなるんですが、それはあくまでも、持てる側の論理でしかないのだろうと思います。

有人宇宙飛行もやったという中国、オリンピックも一応成功させた中国ですが、それでも中国が経済的に躍進してきたのはごく最近のことですから、ある 程度は温かい目で見つつ、四川大地震のときのように協力できるところは大いに協力しようという姿勢が、先進国には求められているようです。

2008/9/14 日曜日

「異質」に対する拒絶反応

カテゴリー: 海外の事情 — admin @ 20:27:43

筆者は台湾在住中に台湾人と国際結婚をして、後に静岡に戻って来て子供を育ててきました。国際結婚も最近ではさほど珍しいことではなくなってきてい ますが、今は亡き明治生まれの祖母からは、当初良い顔はされませんでした。台湾なら、かつては日本だったこともあるのだし、ご年配の方々には日本語が堪能 で日本に親近感をもってくださる方も少なくないのですから、取り立てて「国際」と見るほどでもないだろうと考えておりましたが、祖母には大いに抵抗があっ たようです。

明治生まれで、台湾や韓国、さらには満州にまで日本人が進出(侵略?)していた時代を生きてきたのであれば、そうした国々への理解もあるだろうと思ったのは、間違いだったのかもしれません。

我が家はどうやら少なくとも500年ぐらいは、この静岡の中島(奈良時代から明治初期までの長きに渡っては「駿河國有渡群中嶋村」)で代々暮らして きたそうですから、伝統的なレイシズム(民族主義)の価値観が祖母には残っていたのかもしれません。それで祖母は拒絶反応を示したのかもしれません。

レイシズムといいますと、現代の欧米などでは絶対に許されない価値観であるかのようなことになっています。日本では、外国人や人種の違う人があまり に少ないために大きな問題にはなりにくいという面もありますが、やはり「差別は良くない」という認識を一応持ってはいます。しかし残念なことに、「外国人 お断り」と宣言して、日本人以外の入店や入居を認めない姿勢を見せている日本人もいて、それが日本人だけの日本社会においては、特に違法でもないし不道徳 とも見なされないというのが現状のようです。

そうかと思えば、フランス、イギリス、ドイツなど、文化的に進んでいるはずの西欧でも、差別はいけないことになっているはずなのに、古くから出稼ぎ に来ているトルコ人や、冷戦が終わってから増えてきたルーマニア人などとは、常に一定の距離を置こうとする傾向や、露骨に差別するといった反応も見られま す。大都会パリでも、かつて植民地としていた北アフリカ諸国からの人々がかなりの数で暮らしていますが、イスラム教である彼らとの対立が、時々ニュースを 賑わしています。

筆者も普通の日本人として、フランスやスペインなど、西欧を一人で何か月も歩いた経験がありますが、例えば腹が空いてレストランやバーに立ち寄った 時に冷たい視線を浴びたり、ただ街を歩いているだけで睨まれたり、いきなり怒鳴りつけられたり、あるいはまた子供たちに取り囲まれて囃し立てられたりと いった経験が何度もあります。

「明らかに様子の違う者は取りあえず排除しておこう」という拒絶反応が、どこの国にもあるものなのかもしれません。それは恐らく動物として、民族として、はっきり異質な者に対する警戒心から来るものなのでしょうね。

警戒心をもつこと自体は問題ないはずですが、それをもっていきなり排除する反応に出れば、即座にそれは差別になってしまいます。面識のない人を指し て「お前は嫌いだ!」と言うようなことは普通言わないわけです。何も悪いことをしてない人に向かって「出て行ってくれ!」というのも全く同じことです。

逆に私たちは、そういう拒絶反応から身を守るために、最低限度の注意を払って暮らしています。たとえば、近所のコンビニに行くときと、ブランド品を並べたデパートに行くときとでは、服装を変えて出かけます。

お葬式や結婚披露宴では、さらに服装への注意が慎重になります。ビーチサンダルの人は絶対いないでしょうし、男性ならYシャツ・ネクタイ・礼服で、 靴下の色まである程度は気を遣います。「服を買う金がなかったから。」といって、Tシャツにジーパンといった普段着で来る人は、そんな格好を頼まれでもし ない限りはありえません。

ところが台湾の結婚披露宴では、ラフな服装でも一向にお咎めなしです。Tシャツに短パンの人も全然珍しくないんですね。人によってはご祝儀すら持っ てこなかったり、招待されていなくても勝手に友だちを連れてきたりもします。そんなことして席があるのかと心配になりますが、台湾ではそれが普通なので、 席はいくらでも増やせるんですね。おまけにご祝儀を出さない人がいたとしても披露宴は十分黒字になるんです。高額な会場費用にたくさんお土産を持たせて赤 字になってしまう日本の結婚披露宴とは様子が正反対です。

日本社会と台湾社会を見比べますと、どうやらこんなことが言えると思います。つまり、日本は互いに監視し合う社会、台湾は互いに許し合う社会。全体主義的な日本社会と、個人主義の強い台湾社会なんですね。

台湾では、いろんな人がそれぞれの好みや感情を隠そうともせずに暮らしていますから、たとえばデパートで夫婦がいきなり怒鳴り合いの夫婦げんかを始 めても、「え? あんなことしていいの?」というような反応はほとんどありません。せいぜいが、しょうがない夫婦だなと思ってにやにや笑う程度です。それに対して、日本で は常に周囲の目を気にして暮らさなければなりません。公衆の面前で声を張り上げて喧嘩するなんて光景は、今どきは歓楽街の酔っぱらいにすら滅多に見られな いことですね。

日本社会が日本社会らしく、常に厳しく平静を保つというのも、私たちの平和な日常には必要なことなのかもしれませんが、かつてはもっと、喧々囂々(けんけんごうごう)たる光景があちこちに見られたものです。

それどころか、現代の日本では挨拶言葉すら衰退してしまいました。誰に対しても「おはようございます」「こんにちは」とだけいうのは、本来の日本語 からすれば不自然な挨拶で、本来なら、天候を話題にしたり、勤勉さや商売を話題にしたりして、なんらかの内容をともなうのが普通だったはずなんですが、現 代では、内容なしで「こんにちは」の一言という、なんとも冷たい挨拶が主流になってきています。

それで良いのだということですと、台湾人のような、昔の日本さながらに人情味に溢れた人々との付き合いも難しいことになってしまいます。

「なんだか知らんが、あの人やたらとにこにこしてこっちを見てるよ。気持ち悪いね。」といったことも、相手が外国人ならきっとあり得ます。そこで見 なかった振り、見てない振りをして空(そら)を使うなんてことをすれば、「日本人って、冷たい人たちだ。」とも思われるでしょうし、最悪の場合は「差別さ れた!」と思われてしまうかもしれません。

そんなところにも「異質」が潜んでいるわけですね。誰かを見て「異質」と感じたとき、感じてしまったとき、何も考えずに直ちに拒絶反応を見せてしまえば、私たちは罪の意識なしに、差別する側に立たされてしまうこともあり得るわけです。

拒絶反応というのも、警戒心からくる自然な防御本能の類によるものでしょうから、全てが悪いということはないと思いますが、もし知見を広めることで拒絶反応を減らすことが可能なら、是非そうしたいものだと思います。

2008/9/12 金曜日

北京五輪と世界の接客が向かう方向

カテゴリー: 海外の事情 — admin @ 10:03:39

北京五輪期間中の海外からの宿泊客は、北京市観光局局長が語ったところによりますと、北京五輪開幕からの2週間、最上級の五つ星ホテルで宿泊率が 81%だったそうです。これは去年の同月比12%増だったのだそうですが、それでも予約を急がずとも余裕で宿泊できそうな数字です。

さらに四つ星、三つ星のホテルの宿泊率は、去年よりもだいぶ低下したそうですから、テレビではかなり盛り上がっていた北京五輪も、現地では閑散とし ていたということでしょうね。2008年8月全体で見ても、海外からの北京市への観光客は、前年同月比で7.2%も減少しています。これは一体どうしたこ となんでしょうか。

中国当局で取材が許可され、世界にテレビ放送された様子だけを見ておりますと、中国の接客は大変に向上していて、さも先進国並みかそれを超える水準であるかのようにも見えましたが、実際のところはまだまだだという見方が有力です。

接客がまだ上手になっていないということであれば、まだ今後に期待もできるのですが、現実は、接客を接客とも思わず、客に対して粗暴な態度を見せたり暴言を吐いたりという、ちょっと信じられないような事例が一向に減っていないと見る向きもあります。

1990年ごろの中国のテレビでは、お客に対して笑顔で接し、一度も怒ったことがないというデパート店員が表彰されたというニュースを報道していました。当時はまだ、店員が客に怒りをぶつけるというのが普通の光景だったわけですね。

日本人の感覚からすると、到底信じられない話ですが、実はこれ、中国に限った話では決してないようで、例えば先進国といわれる西欧の国でも、まれに は客を怒鳴りつける店員がいたりします。さらに、笑顔を決して見せない接客態度となれば、まだまだ世界中で普通のことで、今後もさほど改善されないのかも しれません。

良く言えば、自分の感情というものに正直に働いているということでしょうか。もちろん日本にもそのような態度での接客がまったくゼロだとは言えない でしょう。しかしそれではいけないということ。それは世界共通の認識のようです。店員が粗暴で普通だった中国でも、笑顔の店員さんが表彰されたわけですか ら間違いありません。つまり世界は、より良いホスピタリティーに向かうことが正しいと認識されているということですね。

日本が誇るおもてなしの文化は、大いに誇って良いことなんです。

2008/9/11 木曜日

近代史のはなし 日本と韓国(1)

カテゴリー: 韓国の近代史 — admin @ 23:48:34

韓国の近代史について

実はこの、韓国の近代史というものを、正確な文献などによってまとめることは、とても危険なことなんです。

なぜかといえば、現代の韓国では、歴史をいわゆる「正史」(これまでの記録を書き直す)という中国古来のやり方で編纂しているため、一般の韓国人が 受ける教育での韓国近代史というものは、あくまでも現政治体制にとって必要なものとしてまとめられていて、近代的な歴史学の手法によってまとめられた歴史 とは大きく異なるんですね。

「正史」というのはつまり、現在の政権が、過去の政権のおこなったことのうち、評価すべき部分というものを削除して、非難すべき、不幸な部分だけを 誇張して、現政権に都合の良い内容へと作為をもって書き直した歴史です。ですから、正確な歴史を日本人などが提示するということは、韓国の国家体制を脅か すという、危険な行為にもなりかねないわけです。「それは正しくない。捏造だ。」と、正論を述べるのは簡単ですが、韓国には韓国の事情があるわけですね。 もちろんそうした韓国の事情が、あらゆる韓国国民にとって良い面ばかりとは限りません。

例えば、「韓国以外の国に住みたい」と考えている韓国人の割合が、「日本以外の国に住みたい」と考えている日本人の割合よりも、かなり多い(特に高 学歴の人の場合は、半数、あるいは半数以上) という統計があります。それはなぜかといえば、理由はいろいろあるんでしょうけれども、例えばアメリカのような、自由闊達な空気というものが今ひとつ不足 していて、もっと伸び伸びとしたいというような気持ちを持っている人も少なくないのかもしれません。

韓国政府が「正史」によって歴史を記述し、子供たちに教育しているということも、あるいは空気を息苦しくしている一因なのではないかと想像しますが、筆者は韓国には住んだこともないので、いい加減なことは言えません。

いずれにしましても、最も近い隣国であり、文化的にも、話す言葉も、なにもかもが日本と一番近いのが、お隣の韓国です。そんな韓国を理解する上で、 韓国の政治体制が、日本のように簡単に成り立っているわけではないという難しい事情というものを知っておく必要があると思います。

日本が清国から台湾や遼東半島を譲り受けた「下関条約」については、台湾の近代史のところでも書きましたが、この条約の第一条として決められたことというのが、清国による政治的な影響を強く受けていた朝鮮王朝の朝鮮半島について、清国はその独立を認めるということでした。

このあたりのことも、現代の韓国ではほぼ隠蔽されているかもしれませんから、たとえ事実だからといって、日本人がこうした歴史を来日した一般の韓国人の前で口にすることは避けておくべきでしょう。

1910年(明治43年)、日本は朝鮮半島を併合し、朝鮮王朝の時代は終わりました。以来35年間、日本の敗戦までの間、韓国の人々は好むと好まざるとに関わらず、大日本帝国の一員となったというのが、いわゆる「韓国併合」です。

1895年から日本に植民地化された台湾との違いとしましては、台湾人が「二等国民」として扱われたのに対し、韓国人は建前上は日本人と同等の身分 ということになっていたことがひとつ、あげられます。これにはもちろん、日本を追い出そうと考える反対勢力があり、一方で併合に協力する勢力もあったよう です。

いずれにしましても、日韓併合を「植民地」と呼ぶかどうかには議論があって結論が出ていないことや、同じ日本から見た歴史認識でも、政治思想的に右寄りの歴史認識と、左寄りの歴史認識とでは大きな食い違いがあることなど、簡単には説明できない部分が多いようです。

そもそも日本は、自国の戦略として、ソ連の南下を防衛するために朝鮮半島支配を必要としていました。そして日本に併合された韓国で三・一独立運動な ど、独立運動が相次いで起きていたことなどを考えますと、たとえ韓国の近代化に貢献した面もあったとはいっても、大日本帝国による拡張主義でなかったと言 い切ることは難しいでしょうね。

こうした激動の歴史の中、幸福な思いをした人もあったでしょうし、大変に不幸だった人もあったはずです。そして日本と韓国という、同じ東アジアの一番近いはずの両国にとっても、幸福な面と不幸な面とを併せもっていたはずです。

幸か不幸かということは、善か悪かということとは違います。

日本は日本で、ヒューマニズムに満ちていて、是非とも韓国人を良き日本人にしたいと願ったことでしょうが、自分は韓国人であって日本人ではないとい うところにプライドをもっていれば、日本からの一方的な善意は韓国人にとって災難でしかありません。それまでのどんな時代にも、韓国が日本を併合しようと か、日本人を全員韓国人にしようといった支配をおこなったことはないわけです。

日本の側にどんな善意があろうとも、韓国人による韓国人の国を消滅させたり、韓国人をやめなさいというような押しつけがましい政策を持ち込んだりすることで朝鮮半島全体を幸福にできると思うのは無理なことです。

2008/9/9 火曜日

近代史のはなし 日本と台湾(2)

カテゴリー: 台湾の近代史 — admin @ 22:04:29

そんな複雑な住民構成の大きな島を、日本は植民地にしたわけです。もちろん統治は簡単にはいきませんでした。

日本支配に抵抗して、台湾として独立国を建てようという動きもありました。日本(大日本帝国)への抵抗には 、やはり多くの人々が犠牲になりました。戦後の、戦争のない長い時代を生きている私たち現代の日本人には、ちょっと想像のつかない恐ろしいことがたくさん あったわけです。

本当の「台湾人」である、台湾の原住民は、「高砂族」とまとめて呼ばれることもありましたが、日本は植民地時代に彼らを「野蛮人」の「野」をとった 「蛮人」と呼んで、特に蔑んでいました。当時の日本の新聞を読めば、そうしたひどい差別語も、見出し、本文に関わらず、たくさん出てきます。戦前は、差別 語だから使っちゃだめ!という考え方もろくになかったみたいですね。

一方で、日本は台湾に多大な投資をしました。ダムや用水路を作って農業の生産効率を高めたり、衛生管理をおこなったり、南北に長い台湾を縦断する鉄 道を敷設したりもしました。教育も、日本語による教育ではありましたが、台湾人が高等学校や大学に進学するチャンスも開かれました。

しかしそれでも、台湾人は「二等国民」とされて、一般の日本人とまったく同等の権利を与えられるというところまではいきませんでした。

台湾人に対する差別というものは、そのように、確かにあったわけですが、実際に台湾に渡って、台湾の人々のために一生懸命尽くそうという、善意のか たまりみたいな立派な日本人も少なくありませんでした。(もっとも、異文化に対する善意がいつも良い結果をもたらすということは全くないんです が・・・。)

戦後、中華民国になった台湾で、しばしば見かけられた光景があります。それは同窓会です。同窓会なんて、別にめずらしくもないじゃないかと思われるかもしれませんが、ちょっと違うんです。

戦前に学校で勉強を教えてくれた懐かしい恩師を、台湾のクラスメイトの人たちがお金を出し合って、日本から招くんですね。そこには必ず、涙の再会が ありました。台湾の人たちも、日本人の先生も、互いに昔を思い出して、肩を抱き合って涙を流すんです。部外者として遠目に眺めていても、ついもらい泣きを してしまうような、とても感動的な同窓会の光景です。

そこには、一生懸命職務に励み、台湾の子供たちを愛した日本人と、愛情をもって教えてくれた先生に対する台湾の人々の深い感謝の気持ちが溢れていました。

台湾に住んでみますと、ときどき日本語の堪能な台湾人に出会うことがあります。

「ぼくはねぇ、まだ内地(日本のこと)に行ったことはないんだがね、できれば一度、富士山を見てみたいと思うんだよ。」

そう語ってくれた90歳の老人の言葉には、こちらが日本人だからというお世辞などまったく感じませんでした。 もちろん、ご年配の方々みなさんが日本語を流ちょうに話されるわけではありません。家が貧しくて、ろくに学校など行けなかった人もいます。その老人と同世 代なんですが、うちの子供たちの曾祖母は、ほとんど日本語が話せませんでした。

台湾のご年配の方で、日本の教育を受けてこられた方々が、みなさん親日家だとも限りません。また、かつて日本が台湾で「良いこと」をしたのか、あるいは「悪いこと」をしたのかといった、単純な見方もできません。

21世紀の日本人としては、そうした過去の出来事を、現代の基準や、善悪の基準で判断することもできないのです。

歴史というのは、善悪だけでは割り切れない。

私たちはそんな視点に立つことを心がけるべきではないでしょうか。

近代史のはなし 日本と台湾(1)

カテゴリー: 台湾の近代史 — admin @ 21:26:24

日本と韓国、日本と台湾についての近代史を、とてもわかりやすく解説してみようと思います。今までなんとなく知っていたけど、詳しくはわからなかっ たということについて、歴史の教科書には決して書かれていないような面白い書き方で説明できればと考えています。今回からは台湾についてです。

台湾は、日本が戦争に負けるまで、日本の植民地でした。1945年までということですね。

いつからかといえば、日清戦争に日本が勝って、下関条約で清国から台湾をもらった時からですね。日本にとっては初めての植民地です。欧米列強の仲間入りができると思って、さぞかしエキサイティングなことだったでしょう。

台湾には総督府が設けられて、立派な建物も建ちました。今でも「中華民国総統府」として使われている洋式の建築物です。

台湾という島は、蓬莱島、フォルモサとも呼ばれるとても美しい島でしたが、そこに住んでいた人々は、一言で説明できるような簡単な構成ではありませんでした。もちろんそれは、今でも同じことで、台湾とは多民族の島であるわけです。

原住民と呼ばれる人たちは、十族と呼ばれる通り、十の部族があって、それぞれ全然通じない言葉を話していました。

一方、明の時代から中国大陸から「漢人」とされる人たちが移住してきていて、中国文化で暮らしていました。 またそれも単一民族ではなくて、いわゆる閩南語(びんなんご)という、福建省の南の方で話されている中国語の一種を話す人々が「ホーロー」と呼ばれる人た ちで、客家(はっか)語という言葉を話す「客家人(はっかじん)」も住んでいました。

ここまで説明を聞くと、なんだか非常に複雑だなあと思われることでしょう。実際、台湾は今でも複雑な島なのです。

戦後は、中華民国になって、蒋介石率いる国民党が大挙して台湾海峡を渡ってきましたから、日本の植民地時代を経験していない中国人もたくさん住んでいます。

戦前までは、日本の支配のもと、台湾島の住民は大きく二つに分けて考えられていました。ひとつは原住民ですね。そしてもう一方が、漢人です。

最近の日本では、この複雑な台湾を、こんなふうに考える人たちがいます。つまり・・・

「台湾は、もとから清国支配が大して強くなかったし、50年間も日本支配を受けて、皇民化政策(台湾人を普通の日本人と同じ天皇陛下の民にしようとする政策)もおこなわれてきたから、漢人と見るのは間違いだ。台湾人は台湾人なのだ。」

・・・というような見方なんですが、そんなに単純な話ではありません。

台湾のホーローや客家といった漢人の人たちというのは、「自分たちが中国文化を受け継いできていて、むしろ文化大革命などで過去の文化が破壊された 中国大陸の中国人よりもよほど中国人らしい良いところを受け継いでいる」というふうに考えてもいますから、台湾人は漢人ではない。台湾人は華人ではない。 と、単純に否定してしまうのは無理があります。

戦前のホーローや客家の人たちも、「原住民とは違って中国式の文化的な暮らしをしている」とプライドをもっていましたから、 台湾人は台湾人でしかないという論理では、戦前までの彼らのプライドをひっくり返すことにもなってしまいます。

ようこそニッポンどっと混む会員の皆さま

カテゴリー: ごあいさつ — admin @ 18:48:11

この投稿の時点では、まだ会員募集をおこなっておりませんが、このようなサイトを立ち上げてみました。準備のためです。

皆さまと共に、海外からのお客様がまた来たいと思う施設作り、お店作りを考えてまいりたいと存じます。

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